クールーの伝達性の証明

 クールーは東部ニューギニアの海抜1,000〜2,000mの山地に住むフォア族の間に流行した疾患で、kuruとはフォア語で“寒さや恐怖で震える”ことを意味する。

人口35,000〜40,000人の部族に、1957年当時は年間200人以上のクールーによる死亡例が確認された。クールーの全経過は1年以内であることから、年間の発病率、有病率は全人口の約1%に達したものと思われる。

当時、病因として中毒や栄養障害説があげられたが、儀式的食人の風習との関連が疑われ、その風習の廃止により、60年前後よりクールーの発生は減少に向かった。

後述のように、クールー患者ではPrP遺伝子のコドン129番がバリン型であるものが多いといわれ、フォア族の遺伝素因が感染の背景にあった可能性が残る。

 流行の最盛時には、成人女子と小児の発病者が多く、成人男子の発病が少ないが、これは成人男子は食人の儀式に加わらず、死者の脳を食べることも少なかったためといわれる。

この風習の廃止後、先ず小児、ついで青年の発病者が減少し、約15年間でクールー患者は激減したが、20年以上を経て流行地以外に移住したのちに発病した者もあり、潜伏期間が20年以上に及ぶことを示唆した。

一方、最も若年者の発病は4歳といわれ、これが最短潜伏期間に近いと思われる。

クールーの臨床症状はかなり均一で、著明な震えと運動性失調を主とした韶脳症状が中心で、CJDのような痴呆はみられず、3〜9カ月の間に死亡した。

クールーの病変は神経細胞の変性、脱落、星状膠細胞およびミクログリアのびまん性増殖が、小脳、橋核、視床、基底核を中心に認められ、軽度の髄鞘脱落、血管壁の肥厚、血管周囲の少数のリンパ球浸潤なども記載されている。

さらに老人斑に似たアミロイド斑が半数以上の症例で認められた。この斑は老人斑に似るが、小脳を主とした出現部位と周囲の嗜銀性繊維がすくない点で異なりクールー斑と呼ばれるようになった。

当時、この病理所見からは遺伝子性代謝障害ないし変性過程が考えられるとしながらも、感染、中毒、栄養障害などの外因も否定できないといわれた。

すでに述べたように、Hadlowはクールーとスクレイピーの病変の類似性を1959年に指摘した。これに先行するスクレイピーの伝播成績からも、Gajdusekらのクールーのチンパンジーへの接種実験は合理的な計画であった。

Gajdusekらは1963年から64年にかけて、3名のクールー患者脳乳剤をチンパンジーの脳内に接種した結果、おのおの18、20、21カ月後に発症をみた。のちにチンパンジーに継代接種すると、2代目以降は10〜12カ月で発症し、いずれも海綿状脳症を呈した。

彼らはほかの変性疾患としてパーキンソン病、グァム島のパーキンソン痴呆症候群、グァム筋萎縮性側索硬化症(ALS)、その他の疾患脳も同様にチンパンジーに接種したが、これらは発病しなかった。

しかし、1966年末に、1例の孤発性 患者の生検脳乳剤を脳内接種したチンパンジーが13カ月後に発病し、海綿状某病変を呈したことがGibbsらにより報告された。

ここにクールーとCJDの伝達性が始めて立証され、とくに変性型の痴呆性疾患と思われていたCJDが遅発性感染症であったことは従来の変性症や感染症の概念を変えるものとしてわれわれに衝撃を与えたのである。

item1a
item2
item3